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DAGはどのくらい危険なのか(続々・エコナはどのくらい危険なのか)
さて,お約束していたDAGの話です。

どういう話のしかたでまとめようかと思いましたが,基本的に2009年9月2日に開催された「食品安全委員会新開発食品(第63回)・添加物(第76回)合同専門調査会」において提出された資料1:「高濃度にジアシルグリセロールを含む食品の安全性について」 -中間取りまとめ-(案)[PDF]の内容を解説する形で話を進めることにします。

こういう進め方をすると不満を持つ方がいるかもしれませんが,ここに示されている一連の研究についてのまとめ以上に,詳細な研究群は私には見つけられませんでしたので,ご勘弁ください。もし,他にもっと良い研究群があれば,ご紹介いただければと思います。

さて,この資料ですがPDFを開いて見た方ならわかる通り,ものすごい勢いで訂正やら意見やらが入りまくってます。そもそも中間とりまとめだからしかたがないのですが,読みにくいことこの上ないわけです。ただ,がんばって読めば同じ研究結果からでも,各委員によりそれぞれ異なった表現を要求している場合が多いことが良くわかります。さらに過去の履歴も全部添加物専門調査会のページから漁ることが出来ますので,興味のある人はどういう風に報告書が変化しているのかを見ると面白いと思います。

この手の国がまとめた研究報告は,官僚だの大企業だののお手盛りだと思い込んでいる人がわりと多いようなのですが,中ではちゃんと議論しているのだということが,これを見るだけでも良く解るんじゃないかと思います。

閑話休題。

それでは,がんばって読み解いていきましょう。ただ,繰り返しますがこれは「中間とりまとめ」ですので,今後新しい知見が得られることによって結論の方向が変わる怖れは十分にありますのでご注意ください。

さて,まずこの報告書を見る上でちゃんとわかっていなければならない点があります。それは,エコナ(本文中ではDAG油)は,トクホとして認定される以前に

遺伝毒性試験と2年間発がん性試験をクリアしている

ということです。(p.36)

ですから,通常の使用条件の範囲内であれば,エコナを使用することによって明確な健康被害は起きないであろうと言うことはすでに確認されていると考えて良いわけなんですね。ここ重要なことです。

では,なぜここまで一生懸命長い期間をかけて検討が積み重ねられているのか。それはすべて本当に安全な量を見極めるため」に必要なことであり,ここで行われている様々な実験はそのための作業なんですね。

エコナに発がんプロモーターとしての作用が疑われたそもそものきっかけは,昨日のエントリでも書きましたが,エコナに比較的大量に含まれている成分である1,2-DAG(主成分は1,3-DAG)にPKCと呼ばれる酵素を活性化させる作用があることが知られており,それにより発がんが促進される可能性が指摘されていたからです。

しかし,実はこのPKC絡みの発がんプロモーションも,はっきりわかっているのはフォルボールエステル(TPA)と呼ばれる物質が,PKCを活性化させることにより強い発がんプロモーター作用を持つ,ということだけであって,PKCの活性化=発がんプロモーター作用を持つ,と言い切れるのかどうかすらわかっていないのが現状です。

というか,PKCが活性化することによって生きていくために必要な反応が開始されているのも事実なので, 適度にPKCが活性化されるのは生命活動において必要なことです。ただ,生理活性物質として体内で生産される1,2-DAGとは異なり,TPAは生分解性を受けにくく残存してPKCを過剰に活性化させてしまいます。そのため発がんプロモーター作用が生じてしまっているわけなんです。

しかし,酵素化学的な実験において1,2-DAGがPKCを活性化させることは確実だとわかっています。さらに,1,2-DAGは二つ持っている脂肪酸のうち,どちらか一つが不飽和脂肪酸の場合にPKCを活性化することができるのですが,エコナの場合は構成する脂肪酸の90%が長鎖不飽和脂肪酸です。つまり,エコナはPKCを活性化しうる1,2-DAGを大量に含んでいることになりますので,過剰にPKCを活性化させてしまう可能性は無いとは言えません。となれば,きちんと確かめる必要があります。というわけで,一連の実験が始まったわけなんですね。

ただ,ちゃんとわかっていなければならないのは,これが「酵素化学的な実験から得られた知見」であることです。

つまり細胞を構成する他の成分から守られていないむき出しのたんぱく質を反応させると,このような現象が起きる,と言うことしかわかっていないということです。ここは重要なことなので,ぜひ理解してください。

実際の細胞を考えれば,エコナに含まれる脂肪鎖はオレイン酸やリノール酸,リノレン酸などの長鎖脂肪酸がメインであるため,エコナに含まれる1,2-DAGが細胞膜を乗り越えて細胞内に入り込むことは,普通に考えるとかなり困難です。また,当然ですが細胞一個だけの状態と個体レベルでも話が全然違います。

もちろんですが,普通は酵素むき出しの状態より細胞の状態,細胞一個だけの状態より個体レベルになった方が,影響は受けにくくなりがんにもなりにくくなります。ですから,単純に考えれば,食事で摂取するレベルの量の1,2-DAGが,大きな問題となるような影響を人体に与えるかどうかと言えば,非常に考えにくいわけです。でも本当に安全な量を見極めようという想いが,ここまでさせているわけですね。

なんか,もう。ここまでの段階でどれだけ安全側に振って仕事をしているんだろう,と関係者の努力に頭が下がりっぱなしなんですが,さらに読み進めます。

さて,そんなこんなで最初に行われた研究が「ジアシルグリセロールの発がんプロモーション作用に関する研究(実験A)」(p.15)です。

これは時系列的に考えると,たぶん たたたた さんからご紹介いただいたこの記事で取り上げられている研究と同一だと想います。

こちらの記事では

比較する対照である普通の油(TAG)を投与した群で、すでにガンやその前症状が多数発生しているのだ。これではエコナのDAGの群で増えても統計的に有意な差が出にくい。つまり、できるだけエコナは危険だという結論が出にくい実験条件になっているのだ。

と批判されています。

これだけ聞くと「なんだよそれ,そんな実験条件おかしいだろ」と感じる方も多いでしょう。でも,ここに大いなる誤解があるんですね。

というのは,これは「発がんプロモーション作用」を調べるための実験であり,比較対象となるラットには「発がんイニシエーション処置=がんを人為的に発生させる処置」が行われている必要があるんですね。だから,対象となるラットでもがんが発生するのは当然,というか発生してくれないと比較対象にならないんです。

「なんでそんなことを!」と思う人も多いかと思いますが,今回見たいのは「がんの発生が1,2-DAGで促進されるのかどうか」という点です。ですから,まず「何も処置を行っていない状態のラット」,それから「イニシエーターによりがんを発生させられたラット」を比較対象として用意します。その上でそれぞれのラットの群に対して「DAG油(エコナ)を摂取したラット」と「TAG油(普通の食用油)を摂取したラット」を作り,全部で4群(実際には1,2-DAGとTAGの混合比を変えたラット群を併せて6群)のラットについて発がんの状態を比較しています。

これらを比較することで,

1) イニシエーターによりがんはどのくらい強く発生するのか(イニシエーター有りと無しを比較)
2) DAG油はTAG油と比べ,どのくらい強いイニシエーターとして働いているのか(イニシエーター無しのDAG油とTAG油を比較)
3) DAG油はTAG油と比べ,どのくらい強いプロモーターとして働いているのか(イニシエーター有りのDAG油とTAG油を比較)

ということがわかります。

つまり,「イニシエーターがない状態=比較対象となるラットが全くがんにならない状態では,肝心要のDAG油が持つプロモーター作用の強さがさっぱりわからない」という事になり,そんな実験計画では全く意味がない実験をすることになってしまうわけです。

さらに先ほどのMyNewsJapanの記事では,

さらにこの試験でおもしろいのは、高リノレン酸、高オレイン酸、中鎖脂肪酸など他の油も一緒に試験している点だ。発ガン促進作用が指摘されていないこれらの油でも、なぜか腫瘍が増えている。

 それが何を意味しているのかは、今のところ不明だ。可能性は二つある。他の油も危険性があるということなのか、それとも安全な油でも片っ端からガンを起こしてしまう、いいかげんな試験だということなのか。

 花王は頼まれもしないのに、何故、他の油も試験しているのか?「エコナが問題にされるとすれば、他社の製品も道連れだ」という花王の殺気も感じられるデータだ。



などと揶揄されていますが,著者の植田さんが大いなる誤解をしていることは,みなさんもうご理解いただけましたよね。もしかすると「イニシエータ-」の意味がわからなかったのかな?などと勘ぐってしまったりもするわけなんですが,安全と言われている油でもがんになってくれるような条件でなければ,この実験の意味は大きく減ってしまいます。そして,ここまで読み進めてくださった方であれば,通常使われている食用油と比較する実験をしなかったら,この研究には何の意味も無くなってしまっていたことも,充分ご理解いただけているんじゃないかと思います。

さらに,この研究ではどんなかすかな発がんの兆候も見逃さなくて済むように,遺伝的にがんになりやすいラット(これがTgラットと呼ばれるもの)も使い,こちらも同様に6群編成にして比較しています。

実験の結果,イニシエーターを与えられなかったラットでは,Tgラットも普通のラット(野生ラット)もがんの発生はありませんでした。この実験が行われる以前に行われた研究でも,DAG油(=エコナ)を最長二年間投与し続けても,すべての臓器において野生ラットではがんの発生が認められていません(p.13)。この実験結果も以前の結果を再現しています。さらに,この実験では発がん性に対して感度の高いTgラットにおいても発がんが認められていないわけです。このことはDAG油に発がんイニシエーター能力はほとんどないことを示しているつまり,現状のグリシドール脂肪酸エステル混入率でも実質的な問題はない)と言っても良いように思います。

そして,イニシエーターを与えられたラットでは,期待通りがんの発生が見られました。ただ,性別や遺伝子変異の違いにより発がんの傾向が違って出てきたわけなんですが,何となくエコナをたくさん使うとがんの発生率が上がっているように見えないこともないが,トータルとして整合性のあるデータにはならなかった(本来ならTgラットの方ががんになりやすいはずなのに,雌の場合Tgラットではがんが発生しなかったイニシエータ+TAG油という条件が,野生ラットではがんの発生率が一番高かったりした(p.17))んです。そのため,残念ながらこの実験では「結論は保留」と言うことになってしまいました。

また,はっきりとした結論は出せないが,量的な相関性がありそう(雄野生ラットなどでDAG油含有量が増えるとがんが発生している=閾値が存在していそう)なこと。また,この実験ではイニシエーターとプロモーター候補(DAG油とTAG油)を同時に与えてしまったため,本来の意味でのプロモーション作用を検定しにくいのではないか。という指摘があったことなどの理由により,さらに条件を変えた追加実験を行うように指示が出されたんです。

つまり,先ほどの記事ではあたかも「対照群のラットにまでがんが発生しているのはおかしい」から,再実験になったかのように書かれていますが,ここにも誤解があるんですね。実際には「もっと統計的に処理が容易に行えるように個体数を増やした方がいい」というのは記事通りなんですが,「(対照群にがんが発生するのは当然だけど)がんを発生させるやり方に問題がありそうだから」という理由で追加実験になっているんです。実際,今回紹介した「中間とりまとめ」では,記事に取り上げられている部分についての記述はありません。

というところで,またもや長くなりすぎました。

この後行われた追加実験の内容については,また次回。

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気になる化学リスク | 19:21:18 | Trackback(0) | Comments(1)
続・エコナはどのくらい危険なのか
たたたた さんからコメントをいただきましたが,いつものように長くなったのでエントリにします。

2006年から問題があるのではないかと言われて、データ公開を拒否してきたので、 http://www.mynewsjapan.com/reports/412 大文字で「花王は十分に良心的な会社である」とはとても言えないのではないでしょうか?
それに「花王は…」の前の一文「この一点において」も気になる言い方です。
まるで「花王は十分に良心的な会社である」と書くためだけにわざわざ書いているように見えます。


まず話の後半部分から。「まるで「花王は十分に良心的な会社である」と書くためだけにわざわざ書いているように見えます。」というところですが,この点に関してはご推察の通りです。私には花王の一連の対応には,とてもこれだけの規模で非難されるような部分を感じませんでしたので,あえて強調させていただきました。ですから,そういう感想を持っていただけたのであれば願ったりかなったりです。

さて,話は戻って前半部分ですが,リンク先読ませていただきました。

たぶん当然ご理解されているとは思いますが,この話は今回問題になっている「グリシドール脂肪酸エステル」の話ではなく,主成分である「1,3-ジアシルグリセロール(1,3-DAG)」の話です。確かに1,3-DAGの安全性についての議論は,2003年頃から始まっております。議論の経緯については,食品安全委員会の出しているQ&A(PDF)にも書かれていますが,あとで簡単に説明します。でも,こちらについても現時点ではDAGには健康問題になるような重大な問題がないという結論でまとまりそうです。

さて問題のグリシドールですが,これについてドイツの連邦リスク評価研究所(BfR)の初期評価についての文書の日付が2009年の3月10日。粉ミルクに関する勧告を出したのは,4月です。それに伴い,エコナ中のグリシドール脂肪酸エステル含有量が調べられたのが6月。その結果,370pppm程度であることが7月に報告され,今年の9月に行われた委員会上での意見を踏まえて販売停止に踏み切ったわけです。正直言って,これは十分に早い対応であったのでは無いでしょうか。

今回花王がこれだけ迅速な対応をした理由として考えられるのは,「1,2-DAGや1,3-DAG由来の発がん性については未確認」であるという状況は異なり,現在までに「グリシドールが発ガン性物質である可能性が非常に高いことが確認済であること」があげられると思います。もちろん前回のエントリにも書いた通り,グリシドール脂肪酸エステルからどのくらいのグリシドールが生成され,吸収されるかは全くの未知数です。しかし「ワーストシナリオを考えた場合のリスクを考えると,無視するのは問題がある」と花王が判断したため,現在のような状況になったわけです。

花王としては,現在かなりの売り上げとなっているエコナについてこのような対応を行えば,非常に大きなダメージを被ることがわかっていたわけですし,現実として過剰なまでのバッシングを受けています。それにも関わらず,このような決断を行ったと言うことを考えると,「花王は十分に良心的である」と感じるのが普通じゃないかと思うのですが,いかがでしょう。今後の検討結果しだいではありますが「無罪」となる可能性の方が十分に高いわけですしね。

さて,せっかくだからDAGの話もしましょう。

1,3-DAGの「1,3]というのは,グリセリンが持つ三本足のうち,端から1本目と3本目の足に脂肪鎖が付いているという意味です。

余談ではありますが,エコナ絡みの話で,エコナの主成分をDAGとだけ表記しているケースをよく見かけるのですが,この表記はちょっと不正確に感じます。

同じDAGの仲間である1,2-DAG(三本足のうち,端の一本と真ん中に脂肪鎖が付いている)は普通の食用油の主成分であるトリアシルグリセロール(TAG;三本の足全部に脂肪鎖が付いている状態)が生分解されてできてくる化合物です。1,2-DAGは,さらに2-モノアシルグリセロール(2-MAG)に分解されることで体内に吸収され,巡り巡って体内でTAG(大ざっぱに言えば体脂肪)が生合成されるために必要な原料となります。これが一番単純な脂肪分吸収のシステムです。

これに対しエコナの主成分である1,3-DAGからは,2-MAGが生成しません。できるのは,1-モノアシルグリセロール(1-MAG)です。エコナを摂取すると体脂肪がつきにくいという話のミソは,この「1-MAGがTAGの原料となりにくい」という部分ですので,明確に区別して話をした方がよいと思っています。ですが,エコナ自身の中にも30~40%程度1,2-DAGが含まれていることもあり,基本的には一括してDAGと呼んで取り扱っているようです。

閑話休題。

そもそもなぜエコナの発がん性が問題視されるようになったかと言えば,それはエコナの主成分である1,3-DAGではなく,天然にも存在する「1,2-DAGが発がんプロモーター(発がんを促進する物質)として働く可能性があることが知られていた」からです。

動物の細胞膜を構成しているりん脂質から1,2-DAGが生成されることはよく知られていますが,この時1,2-DAGがプロテインキナーゼC(PKC)と呼ばれる酵素を活性化させて様々な反応を起こし,結果として発がんプロモーターとして作用してしまう可能性があることが知られていました。

通常の場合,りん脂質から生成した1,2-DAGはDAGキナーゼ(DGK)と呼ばれる酵素の作用で速やかに分解し,PKC活性化作用を失います。なので,一個の細胞だけならいざ知らず,ヒトなどの動物では特に大きな問題にはならないのですが,エコナの場合は1,2-DAGの量が非常に多いため,何か問題が起きる可能性があるのではないか,と指摘されたのがそもそもの発端です。

トクホとしての審査には当然発がん性試験も含まれており,この試験において問題が見られるようなこともありませんでした。しかし,上記のような特殊事情により,特別に「遺伝子変異によりガンを起こしやすい体質を持つラットなどによる試験」を行い,報告するように指示が出ました。これが2003年6月27日です。

この時の指示で厚労省が行った一連の実験に関する「中間報告」が出たのが,2005年8月4日の第106回食品安全委員会で,議事録14ページに軽い報告が出ています。そして,その後議論の場は食品安全委員会内に設けられた「新開発食品・添加物専門調査会合同ワーキンググループ(WG)」に移り,現在に至っているわけです。

この辺の議論やら中間報告の資料は「食品安全委員会 添加物専門調査会」のページを漁ると山のように出てきます。現在は,合同WGとしての結論が2009年の2月にまとめられたのを踏まえた上で,添加物専門調査会において最終評価が行われている最中です。

実際,なんでこんなに時間がかかったんだ,と言う批判は当然あるんでしょうが,この手の仕事をやってる現場の人間から言わせていただければ,充分がんばってる方だと感じます。そもそも発がん性試験を一回行うだけでも数週間から数ヶ月の時間がかかります。試験内容の目的に適切な遺伝子を持ったラットやマウスを必要数そろえるのにだって,数週間じゃすまないことなんてざらなわけです。思いつきで実験やってみるだけならすぐ取りかかれますが,なるべく穴の無いように適切な実験計画を立てようと思えば,それなりの時間がかかりますし,神ならぬ人間のやることですから,どうしたって想定し切れていない条件を見落としてしまうこともあります。そして,こういう公的な委員会での審査が必要,かつそこの意向や指示に従いながらの試験となれば,さらに時間はかかってしまうわけです。

………,ちょっと身につまされる部分があったので,関係ないところで熱くなってしまいました。すいません(^^;

さて,たたたたさんがリンクを貼ってくださった記事に戻って見てみましょう。

この記事中では

この試験報告書は、食品安全委員会に提出され、「ジアシルグリセロール(DAG エコナの主成分)の安全性資料」の添付資料となっている。

 しかし報告書の全文は委員会のメンバーのみに配布されただけで、傍聴した我々には様々な試験結果を要約した一覧表だけしか配布されなかった。


このデータを入手するに当たっては、実は別の問題も浮上している。食品安全委員会に行き、データの閲覧を申し込んだところ、閲覧は可能だがコピーや写真撮影などは禁止だ、というのだ。理由を尋ねたところ「著作権の侵害になるから」という。

 おかげで、食品安全委員会で約2時間、報告書の中のデータや、めぼしい箇所を、ノートに手書きで書き写した。またそれを再びパソコンに打ち直して表にする作業で2時間。合計4時間の時間をかけてしまった。とても全文は書き写せなかった。

 しかし、なぜコピーができないのだろうか?食品安全委員会にすでに提出されているデータについて、我々市民が調べようとしても十分にアクセスできないのは問題ではないのか?少なくとも食品安全委員会は著作権者である花王に対して、一般公開できるように求めてほしいものだ。



と糾弾されており,たたたたさんが「花王は良心的ではない」と感じられた理由もここでしょう。

しかし,ここで報告されている各試験の詳細は,そのほとんどが現在では論文になっている(こちら(PDF)のp.60以降にある<参照>などをご覧下さい)ようです。もちろん,この著者がスクープ(?)として出している「DIMS医科学研究所」による報告も論文(Food and Chemical Toxicology 2008; 46: 157-167)になっています。

つまりどういう事かと言いますと,別に秘密にしたいから隠していたいわけではなくて,

まとめて論文にしたいから,もうちょっと待ってくれ


と言っていただけなんですね(^^;

まぁ,なんというか………。研究者としてはごく一般的な対応だと思います(^^;;;;;; もちろん批判したくなる方はいるとは思いますが,研究者という職業は,ある意味論文発表をすることで初めて生計を立てることができるわけです。いくら記者会見でセンセーショナルな発表をしようと,きちんと外部の人間の審査が存在している論文誌に投稿しなければ,その研究内容が認められることはありません。研究内容が認められなければ,その研究者や研究組織の信用が高まることもなく,当然生計を立てる事なんて不可能になるわけです。

最近は話題にならないと予算が付きにくかったりする泣きそうな事情もあって,プレスリリースをする研究者はどんどん増えているわけですが,論文にもなっていない時点で「詳細な数値データ」まで全部公表するような人はいません。だって,ちょっと考えてみてください。万が一集まった記者の中に同分野の研究者,もしくは研究者に近しい人が混ざっていたとして,その人が記者会見で知り得た詳細データを使って,プレスリリースをした人よりも早い段階で論文にしてしまう可能性がないと誰が言い切れますか?

今回のDIMS医科学研究所は,花王から研究委託を受けて実験を行っています。そこには当然契約が存在しているので,花王は全データを把握する権利を持っています。しかし,それを花王が自由に外部に公開することが出来るかと言えば,それは話が違います。普通はデータ公開の範囲は,契約により厳密に制限されているはずです。

このようなのは,もちろん他の実験についても同様です。厚労省が行った一連の実験も,そのほとんどは論文になっており,参考資料としてリストアップされています。こういうのはごく普通のことです。もちろん論文として投稿するのであれば,投稿以前に公開できる情報の範囲は非常に限られてしまいますので,最初に出てくる報告書の内容はどうしても概略のみになってしまいがちです。しかし,逆に言えば検討結果を論文として投稿し,外部の審査期間により認められることは,最終的にまとめ上げられるはずの報告書上では,各データの信頼性を向上させている結果に繋がります。今回のケースなどは,まさにその典型的なものでしょう。だから中間報告の時点で詳細なデータを公表しないのは,ごく当然と言っても過言ではないと思います。

厳にDIMSはこのデータを論文として投稿し,花王側もその論文を参考資料として委員会に提出しています。ですから,この時点で非公開にする意図があったとすれば,それはDIMS側の事情でしょう。「著作権の問題」というのは,そう言うことです。

こんな事を書くと,この研究者はなんてひどい奴だというかもしれませんが,普通はそういう事態を避けるためにプレスリリースは論文になって初めて行うわけです。もちろんこの時にも論文の詳細を自由にコピーさせたりなんてしません。だって,できあがった論文の著作権は論文誌にあり,論文誌を発行している学会や出版社は,その論文を売って生計を立てているんですから当然ですよね。そもそも論文を書いた本人ですら,自分が書いて掲載された論文を自由にコピーすることは出来ません。出版された論文を知人やお世話になった先生なんからに配ろうと思ったら,「別刷り」という自分が書いた論文が載ったページの部分を購入する必要があるんです,それなりのお値段で(^^;;;;ご存じでしたか?万が一,勝手にコピーしてばらまいたり何かしたら,出版社などから告訴される可能性だってありますし。

でも,この人たちは,そういうリスクを全部かぶった上で,論文にするより前に,ある程度のレベルまでの結果を公表し,手書きとは言え詳細なメモを取ることすら許可しているのです。これを良心的と言わず,何を良心的と言うべきでしょうか。

というわけで,ちょっと長くなりすぎたのでDAGの発がん性についての話は,また次回にします。

先ほどの記事の最後は,花王が記者の植田さんに対する対応を始めたところで有料ゾーンに突入し,花王側がどういう対応をしたのかが非常に興味のある部分なんですが,肝心のその部分の情報公開がされていなくて非常に残念です。ぜひ,データの公開を御願いしたいところです。

でも,この手のニュースサイトも情報の売買で生計を立てている以上致し方ないですね。だからきっと,本当は植田さんも「論文を書くために情報公開を止めている」ことを批難するなんてことはしたくないんじゃないかな?と思っています。

では,続きはまたそのうち。

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気になる化学リスク | 14:42:44 | Trackback(1) | Comments(4)
エコナはどのくらい危険なのか
拍手コメントでリクエストをいただきました。

今回、エコナが発売自粛しましたよね。発がん性の恐れのある「グリシドール脂肪酸エステル」か基準より多く含まれているとのことで・・。この件をとりあげてください(T_T) トクホマークがついてたのに、こんなのって・・。使ってたのに、ショックです。今からやめても間に合うでしょうか><

結構話題になっているようですね。

私も新聞報道では知っていたのですが「花王も大変だねぇ」くらいの軽い感想しか抱きませんでした。なので,リクエストをいただいて検索してみたら意外と,というか予想以上に軽いパニック状態になっている方がいることに驚いてしまいました。

いつものようにこの後長い話が続きますので,結論だけ先に列挙します。

1. 今からエコナの使用を中止しても十分に間に合います。
2. 今回問題になっているグリシドールに対する感受性がずば抜けて強い体質のヒトでない限り,エコナだけが原因で癌になるとは考えにくいです。
3. 今回の販売停止は,あくまでもリスク管理上の問題であり,この段階で販売停止を決めた花王はとても良心的な会社であると考えた方が自然です。

個人的にはここまでの騒ぎになる理由が良くわからないのですが,「トクホ」というラベルに全幅の信頼を置いてる人が多いと言うことの表れなのか,「ゼロリスク信仰」の強さというものなのかどちらなんだろう,というのが正直な感想です。

というわけで多少調べてみたわけなんですが,すでにすばらしい解説を書かれているところがありましたので,こちらをご紹介させていただきます。

エコナの件有機化学美術館・分館

正直,こちらを読んでいただくだけで充分と言う気がしている訳なんですが,一応引用しながら蛇足を付け足していきます。

 このジアシルグリセロールが分解してできる「グリシドール脂肪酸エステル」はエコナにたくさん含まれており、これが体内で酵素などによって切断されると発ガン物質の「グリシドール」を生じるかもしれない、というのが今回の騒動の原因です。

本文中では「分解して」となっておりますが,どうも話を聞くとこの分解が起きるのは製造段階(精製段階?)で起きているようで,植物油一般で起きる事例のようです。ただ,エコナの場合は主成分が通常の植物油とは異なるジアシルグリセロールであるため,不純物として問題のグリシドール脂肪酸エステルが大量に生成し,製品中にも他の植物油とは文字通り桁違いに混入してしまっているようです。

整理しておきますと、グリシドール脂肪酸エステル(水色)には発ガン性はないと考えられます。またグリシドールは、Fischerラットと呼ばれるガンを発生しやすいラットに対し、体重1kgあたり37.5mgを投与するとガンを発生したとのことです。ヒトでは発ガン性が確かめられていませんが、このラットでの数字を適用すれば体重60kgの人が毎日2.25gのグリシドールを摂取するとガンを発生することになります。

 エコナに含まれるグリシドール脂肪酸エステルの濃度は370ppmだそうですので、ガンを発生するために必要なエコナの摂取量は1日約6kg、ざっと一升瓶4本分を飲む必要があるということになります。実際にはこういう食生活を送っている人はあまりいないのではないか、と思います(もし計算が間違っていたらご指摘下さい)。

ということで,量的にものすごく問題があるというわけではありません。ただ,ドイツで乳幼児用ミルクにも入っている油脂(パーム油)中にグリシドール脂肪酸エステルが検出され,最悪のケースを考えると健康上躊躇すべきであると判定された例があるため,それより多くの量が含まれているエコナについても規制する必要があるだろうという意見があり(後述),今回の発売自粛措置は,その意見に従ったものと言えるかと思います。

で,今回の問題で一番のポイントは次の部分なんです。

 もちろんラットとヒトは違いますから、通常こういう場合動物実験で得られたデータに100倍の安全係数をとることになっています。であるとすると1日60gですから、絶対安全とは言えないかも、というラインになります。まあこれだけ油をとっていたら、いくらエコナが脂肪になりにくくても、ガン発生以前に何か重い病気にかかるのではないかと思いますが


要するに,リスク評価をどうするかという問題なんです。確かにリスク管理上,エコナをこれ以上このままの使用で販売し続けることは問題ないとは言い切れません。しかし,通常の使用範囲内では「おそらく」問題がないだろう,と言えるのも事実(理由後述)なんです。
そして,「おそらく」大丈夫であろうというものにコストをかけることで,「確実に」大丈夫であるというものにする必要があるかどうか,と判断するのはリスクマネージメントの領域です。今回,花王は問題とされた「グリシドール脂肪酸エステル」を充分低いレベルまで取り除き,「確実に」安全であると言える仕様へ変更することにコストをかけることを決断しました。この一点において,花王は十分に良心的な会社であると評価できると思います。

たぶんこの問題のきっかけとなったのは,時期的に言っても食品安全委員会新開発食品(第62回)・添加物(第75回)合同専門調査会における議論だと思われます。ここの資料5:DAG 評価書の修正に関する意見(菅野専門委員提出資料)[PDF]に,グリシドールの話が出ています。

ここからは,この資料を読み取っていきましょう。

通常食品添加物などの基準を作成する時にADI(一日の許容暴露量)という値(この辺の話はだいぶ前のエントリでも書きましたが)を決めます。この値は,ここまでなら毒性を発揮しないという量(無毒性量)を元に算出されるのですが,この無毒性量の根拠が動物実験だった場合「ヒトと動物の種族間差」として,安全係数10,さらに「ヒト間の個人差」の安全係数として10をかけ,全体として「安全係数100」を乗じて算出します。

Wikipedia

グリシドールについて健康上の危惧が無いと考えられるmargin of exposure (MoE)値は動物実験の結果から10,000である。エコナのMoE値は250程度であり、健康上の危惧が無いと考えられるMoE値から約40 倍の隔たりがあり、数倍の誤差の可能性を見込んでも、食品安全委員会としてはDAG 油を主たる油脂として日々摂取する国民においては、健康上の危惧が存在しないとはいえない、との指摘である。

と言う記述があります。

ここで使われているMoE(暴露マージン)という数字についての説明はこちらが詳しいです。ここにも書かれている通り,算出されたMoEから危険度を判断するためには,UFs(不確実係数積)との比較が不可欠です。

UFsにどのような値を使うかというと,通常試験がきちんと行われている物質に関しては,先ほどもあげた「ヒトと動物の種族間差」と「ヒト間の個人差」に由来する100という値が使われます。しかし,今回問題となっているグリシドールはNOAEL(無毒性量)ではなく, LOAEL(最小毒性量)に相当する量から換算しています(後述)ので,さらに10を,そしてその他の理由によりさらに10をかけてUFs=10,000という値を設定しているものと思われます。

さて,先ほどの資料5の脚注2を見ると

BfR の資料において、最も感受性の高い発がん指標として雄ラットの鞘膜および腹膜での中皮 腫誘発に基づく T25 値(直線外挿に基づく 25%腫瘍誘発用量)が 10.2mg/kg であると算出されて いる(NTP の発がん実験データによる)。この T25 値は BMDL10 としては、T25/2.5 に相当するとの 経験則を用いて、仮想的ながらBMDL10を10.2/2.5=4mg/kg と算定している

とあります。

BMDというのは,ベンチマークドーズ(Benchmark Dose)の略です。元々の意味は「基準(Benchmark)となる用量」という意味です。ここで使われていてるBMDL10という値は,バックグラウンドレベルの有害影響に比べ,10%の増分をもたらす用量を意味しており,この値をNOAEL相当のものとして使用することができます。旧来は実験計画で決めた用量がそのまま NOAEL・LOAEL等の値となってしまい,統計的に正確であるのかどうか言い難い部分が残っていたのですが,この値の方が生物学的にも統計学的にも,より確からしい値として様々な判断の基準と出来ると考えられています。

さて,続けて読み解いていきましょう。ここで示されていた換算を採用すると,暫定的にNOAELは4mg/kgとすることができます。すでにエコナ中に含まれるグリシドール脂肪酸エステルは370pppm程度であるとの報告がありますので,これがすべて分解したとすれば,生成するグリシドールは80ppm程度となります。

先ほどの委員会ページの資料1新開発食品・添加物評価書(案)「高濃度にジアシルグリセロールを含む食品の安全性について」[PDF]のp.48に一日摂取量の推定があります。ここでは

日本人の一日あたりの脂質平均摂取量 54.1 g のうち植 物性食品由来の脂質は 27.2 g となっており、これをすべて DAG 油として摂 取したとすると、一日推定摂取量は 27.2 g/人/日(体重 50 kg として 544 mg/kg 体重/日)となる。

という推定がされています。(DAG=エコナの主成分ジアシルグリセロール)

同時にエコナのシェアから考えた平均摂取量は6.1 g/人/日(体重 50 kg として 120 mg/kg 体重/日),食用油、マヨネーズ、ドレッシング等の DAG 油が使用される可能性の高い加工食品中から摂取される脂質すべてに DAG 油を用いたと仮定した時の、一日推定摂取量は 18.0 g/人/日(体重 50 kg として 360 mg/kg 体重 /日)とも推定されていますので,資料5の脚注4で使われている「一日 10g 摂取」するというストーリーは妥当な値だと思われます。

そして,「このように最大限大きなリスクを見込んだストーリーで算出されたMoEが250であり,確実に安全であると考え得るMoE10,000とは40倍もの開きがあるので,絶対に安全であるとは言い切れない」というのが,今回の話なのです。

ここまで読み取ってきた上で,考えなければならないポイントはいくつかありますが,最大のポイントは

グリシドール脂肪酸エステルは,
実際どのくらいグリシドールに変化しているのか。
どのくらい吸収されているのか。


という点です。普通に考えて100%分解されているというのは考えにくいです。さらに生成したグリシドール自体の安定性が問題です。

グリシドールの化学式は「C3H6O2」と比較的小さなアルコールです。炭素2つと酸素の3つが環のように繋がっているエポキシ構造を持っている(参考:Wikipedia)辺りが,嫌らしいのでたぶんこの辺が発がん性に関与しているのでしょう。

ただ,ここ常用なポイントです。私はこの構造を見て「嫌らしい」と感じました。これはたぶん化学をかじった人間なら,わりと共感していただける感覚だと思います。でも,なぜそう感じたんでしょうか。

それは「エポキシ構造は反応性が高い」からです。反応性が高いため,様々な物質と反応し,いろんなものを創り出します。なので,有機合成を行う際に,中間体として非常に重宝されたりする構造なんですが,反応性が高すぎるために,期待していないものとでも反応してしまいます。おそらく,何らかの経路で細胞中に取り込まれたグリシドールがDNAなどと反応しているのが,発がん性などの原因なのでしょう。

しかし「反応性が高い=安定性が悪い」という意味でもあります。

反応性が高すぎていろいろなものと反応してしまうと書きましたが,エポキシ構造は本当にいろんなものと反応します。なので「酸触媒下で水とも簡単に反応して,違うものになってしまう」んですね。ということは,胃液=塩酸と水が大量に存在している状況下で,グリシドールが安定に存在していられるのか??という素朴な疑問が生じるわけです。

この辺が明らかになると,MoEは大きく変化してくるんじゃないかと思います。正直最終的に体内への吸収量は,摂取したグリシドール脂肪酸エステルの1%以下になるんじゃないかと思っています。完全に勘ですけど(^^;;;

でも,ppmオーダーになっても不思議じゃないとは思いますが,10%になることはないだろうと思います。

もし吸収される量が1%であれば,MoEは250から25,000となり,確実に安全であると考えられる10,000を遙かに超える値になります。

以上,非常に長くなってしまいました。読んでくださった方ありがとうございます。

この話題については,今後どのようなデータが出てくるか,興味を持って待ってみたいと思います。

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気になる化学リスク | 14:54:26 | Trackback(0) | Comments(8)
雑学:続々・メートルのお話
前回の続きです。

前回書いた通り,光速が「定義」として設定されたことにより,波長(=長さ)を求めるためには「光の周波数」を厳密に求めさえすれば良いことになりました。

しかし,光の周波数は数百THz(テラヘルツ=10^12ヘルツ)の領域であるため,現在ある測定器で直接測定するのは非常に困難です。マイクロ波領域の周波数をカウントすることは技術的に可能となっているのですが,せいぜい100GHz(ギガヘルツ=10^9ヘルツ)までですので,両者の間には数千倍の開きがあります。そのため,これまで国家標準として使われてきた「よう素安定化 He-Ne レーザー」の周波数を求める際にも,「周波数チェイン」と呼ばれる技術を用い,測定したい「よう素安定化 He-Ne レーザー」の波長から,セシウム133原子の基準周波数である9193MHz(メガヘルツ=10^6ヘルツ)までの間に,「よう素安定化 He-Ne レーザー」よりも周波数の低い様々な波長のレーザーやマイクロ波を挟み込み,それぞれを比較しながら値をつけていくというある意味アナログ的なやり方で測定が行われたりしました。

そのため,理論上は時間測定の精度と同等のものが得られるはずの長さ測定の精度は,実際の測定により発生する不確かさに足を引っ張られてしまっていた(現在,時間は15桁の精度で測定可能)のも事実だったりします。

しかし,このような技術的な問題を見事に解決する非常に画期的な新しい技術が開発されました。それが

光周波数コム

と呼ばれる技術です。

レーザーに関する応用技術として,パルスレーザーと呼ばれるものがあります。パルスレーザーには,大まかに分けてモード同期型のパルスレーザーと,Qスイッチ型のパルスレーザーがあります。この技術は,光の持つエネルギーが非常に短い時間に濃縮されるために非常に高いエネルギーを簡単に得られるようになるため,化学の世界では通常では起きにくいような反応を引き起こすために用いられたりします。また,非常に短い時間だけ光が照射されますので,極短時間に起きている化学反応の様子を観察するのに使われたりします。

今回注目するのは,前者の「モード同期型パルスレーザー」です。

波には「うなり」と呼ばれる現象があります。これは,微妙に周波数の異なる波が混ざり合うことによりそれぞれの波が干渉し合い,結果的にある一定の周期で振幅が増減するという現象です。微妙に音程の違う音を同時に鳴らすと,音の強弱が変化しているように聞こえます。この現象がうまくいくと,結構いい感じの音に聞こえたりするため,音楽業界などではフランジャーと呼ばれる装置を使って,意図的にこのような現象を起こしたりします。

そして,光も音と同じく「波」としての性質を持っていますので,同じような現象が起きます。つまり,微妙に周波数を変えた光を同じタイミングで混ぜてあげると,時間的に光が強められたり弱められたりします。

さらに面白いことに,混ぜる光の種類を増やせば増やしていくほど,強められる時間がどんどん短くなり,極めて瞬間的な時間に非常に高い強度の光が発生するようになります。これがモード同期型パルスレーザーと呼ばれる技術です。

この時発生するパルスは,その間隔が非常に精度良く等間隔なのが特徴です。しかも,このパルスの間隔は混ぜ合わせる光の種類が多くなればなるほど短く,しかも前述した通りパルス光そのものが発生している時間も短くなります。この時発生するパルス光の様子が,まるで櫛(comb)のようであることから,このような現象を「光周波数コム」と呼ぶようになりました。

そして,この光周波数コムを「ものさしの目盛り」として利用することで,光周波数の絶対測定が非常に高精度で行えることがわかりました。

測定したい光(測定光)をこの光周波数コムと混ぜ合わせます。すると,当然ですがこの測定光と,この測定光に最も近い周波数成分の光との間にうなりが発生します。

ある種の光学結晶はその中を通過した光の波長を正確に半分にすることが知られています。つまり,先ほどの測定光の一部をこの光学結晶に通してから光周波数コムの光と同期させてあげると,半分の波長=2倍の周波数に相当するうなりが検出されることになります。

この時,元々の測定光の周波数(A)と光学結晶を通過した光の周波数(B)の差(つまり,元々測定したかった光の周波数)は,それぞれの光に関連したうなりの周波数と(AとBの間に存在する光周波数コムの数 x 光周波数コム目盛りの幅)の和で表現できます。

この場合に発生するうなりの周波数や,光周波数コムの目盛り幅はせいぜい1GHz程度ですので,従来のマイクロ波用の技術を使うことが出来ます。また,AとBの間に発生している光周波数コム目盛りの数は,普通の波長計などで簡単に測定することが出来ます。

さらに,この光周波数コムの周波数と,仮想的にそのまま等間隔で低周波数側にシフトした時,最もゼロに一番近い周波数(オフセット周波数)を時間の基準である「協定世界時」に同期させると,測定光の絶対周波数を厳密に求めることが出来るようになります。

これにより,従来は非常に大がかりな装置(部屋一個分くらいの設備が必要,しかも測定対象によりまったく異なる装置が必要)が必要だった光周波数の絶対測定が,非常に簡便かつ小型の装置で実現できるようになりました。

そして,ちょうど一ヶ月ほど前にこれらの装置が国家標準として認定され,運用が開始されています。この装置によって得られる精度はなんと13桁。これまでよりも300倍も高い精度で測定できるようになったのです。

もちろん実際にこの装置を使って校正できるのは,長さ測定用に使われているレーザー,具体的には,633 nm(よう素分子吸収線波長安定化ヘリウムネオンレーザ-),532 nm(よう素分子吸収線波長安定化レーザ-),1.5 μm帯(Cバンド)(アセチレン分子吸収線波長安定化レーザー),1.5 μm帯(Cバンド)(シアン化水素分子吸収線波長安定化レーザ-)の4種類のレーザー波長です。光波長コム装置によって校正されたこれらの波長安定化レーザーは特定二次標準器と呼ばれ,これを使って次のレベルの標準器(普通のヘリウムネオンレーザーや,Nd:YAGレーザーなど)が校正されます。そしてその次はその標準器により,ブロックゲージや他の様々な測定器具が順々に校正され,光周波数コムにより求められた正しい長さの値が,我々の使っているメジャーや定規の目盛りに繋がっていくことになります。

このような標準器から連なる測定の比較による一連の流れを「計量トレーサビリティ」と呼びます。

計量トレーサビリティは,長さだけではなく,SI(国際単位系)に属する7つの基本単位すべてにおいて構築され,すべての計量がSIへと繋がる道筋が,世界各国の国家計量機関により整備されています。日本では,産業技術総合研究所の計量標準総合センター(略称NMIJ)がその国家計量機関にあたり,計量に関する様々な活動を行っています。

というわけで,いきなり三回連続というすごい長さになってしまいました(^^; 最後まで読んでいただけた方には大感謝です。

それにしても,難しかった(X_X) 私も今回の一連のエントリ書くので勉強し直したんですが,光速が定義値になった辺りの一連の流れの辺りで混乱してしまい,思わず無かったことにしようかと思ってしまいました。

こんなありさまですので,わかりにくいところはもちろん,いろいろ嘘が混じっている可能性は非常に大きいです。いつものように,ご指摘・ご質問大歓迎ですので,どうかよろしくお願いいたします。

ちなみに,この光周波数コムの関連技術を開発したテオドール W.ヘンシュ博士(ドイツ)とジョン L.ホール博士(アメリカ)は,2005年にノーベル物理学賞を受賞しています。これもちょっとした雑学というか豆知識として覚えていても面白いかもしれません。

正直,がちがちの物理なんて言う専門外の領域に手を出してしまったことを猛烈に後悔している今日この頃なのですが,出来る範囲で続けていきたいと思います。

次回は,今回のキーポイントでもあった「時間」について書いてみようかと思います。

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雑学 | 22:04:19 | Trackback(1) | Comments(0)
雑学:続・メートルのお話
前回の続きです。

波長測定技術の急速な向上は,それまで安定であると思われていたクリプトン86の発光スペクトルが,同じく急速に発展してきたレーザー光に比べると周波数(光波長)が大きな幅を持つ不安定な光源であると感じさせるようになりました。当然ながら,メートルの定義を変更した方がよいのではないか,と言う議論が巻き起こります。

しかし同時期にセシウム原子時計の登場により極めて高い精度で時間を測定することが可能となったことで,大きな逆転現象が発生したのです。

1967年の第13回国際度量衡総会において「1秒はセシウム133(133Cs)の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍に等しい時間」であると定義されました。これはつまり,セシウム133原子から発生する放射光の周波数が厳密に定義されたことを意味します。

光速と波長の間には「光速=周波数x波長」の関係があります。セシウム原子時計を使うことであるレーザーの周波数を厳密に測定することができます。また,同時にメートルの定義に用いられているクリプトン86の波長を元にすれば,そのレーザーの波長を求めることも可能になります。この両者の値を用いれば,光速も厳密に求めることができるはずです。

世界各国の研究機関が厳密な測定を繰り返し,最終的に299792458 m/sという値が得られました。

これは,それまで別の方法で求められてきた光速よりも高い精度で求められた値ではあります。しかし,ご覧のように当時最高の技術を持って測定を行っても,9桁までの精度でしか光速を求めることが出来ませんでした。時間の定義は10桁の精度を持っているにもかかわらずです。なぜそんなことが起きてしまったのでしょうか。それは,波長の基準となるクリプトン86が出す光の波長がそれだけの幅を持った光であったのが原因でした。

ということはつまり,今後どんなに精度良く時間を計る技術が生まれたとしても,クリプトン86の放射光を基準にしている限り,それ以上の精度で光速を求めることが出来ないことになります。これは,レーザーによりさらに波長精度の高くなった光を使ったとしても,同じような壁が発生することは目に見えていますし,そもそもより波長精度の高いレーザー光が開発されたとしても,そのレーザー光の絶対波長をどのようにして求めるかという問題も出てきてしまいます。

そこで,逆転の発想が生まれました。この当時すでに1920年代のマイケルソンによる実験で地球上どこでも光速が一定の値を持つこともわかっていました。であれば,

光速そのものを定義としてしまえばよいのではないか

と言う発想です。

光の速度が定義されてしまうということは,言い換えてしまえば,光速が299792458.0000000000000…m/sという無限の精度で測定されていると見なすと言うことになります。こうしてしまえば「光速=周波数x波長」の関係から周波数(=時間)か波長(=長さ)のどちらか精度良く計れる方の値から,もう一方の値を定義してしまうことが出来ます。つまり現状では時間の方が精度良く計れるわけですから,長さではなく「光速の値を基準として定義する」ことにより,より高い精度で測定できる「時間の精度」で長さを表現できてしまうことになるのです。

結果的に1983年の第17回国際度量衡総会において真空中の光速は299792458 m/sであると定義され,自動的に

1mとは1秒の299792458分の1の時間に
光が真空中を伝わる行程の長さ


と定義されることになりました。これが現在の「メートルの定義」です。

実際のところ,実験的に「1秒間に光が真空中を進む距離の 299792458分の 1」という長さを表現することは非常に困難なのですが,極めて安定な光を出すとされている「よう素安定化 He-Ne レーザー」の周波数を世界各国の研究機関で求め,勧告値として世界中で用いることにしました。これにより,この値と定義されている光速から11桁の精度で長さを測定することが可能となりました。メートルの定義が変更された1983年以降,日本の長さの基準も,この「よう素安定化 He-Ne レーザー」が用いられ続けていました。

しかし,先日この基準が変更になりました。実に26年ぶりの出来事です。

これまで日本の長さにおける国家標準は,すべてメートルの定義とともに変化してきましたが,今回は初めてメートルの再定義とは無関係に変更されました。

いつものように長くなりましたので,今回新しくなった国家標準「協定世界時に同期した光周波数コム装置」についての説明は別エントリとさせていただきます。

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雑学 | 20:12:50 | Trackback(1) | Comments(0)
雑学:メートルのお話
さて,相当間が開いてしまったんですが,長さの単位である「メートル」のお話をさせていただきます。

長さの単位,というか基準が世の中に必要である理由については,皆さん実感するところが大きいかと思いますが,昔々は体の一部の長さを基準とする時代がわりと長く続きました。

もちろんそんなのは個人差がありますので,そのうちその地方の権力者の体格が基準になったり,種の大きさが基準になったり,それはもうものすごい数の長さの基準(単位)が産まれ,淘汰されていきました。

体の大きさを基準にしたもので一番有名なのは,足の大きさを基準にしたフィートですが,その他にも肘から先の長さを基準にしたキュービットも有名ですね。あと,何気にインチは元々親指の太さが基準だったりします。でも,足の大きさが約30cmとか,指の太さが約2.5cmとか,日本人の感覚からすると結構大きい気がしますね(^^;

個人的に使う(私が手の指を広げた時,親指と小指の間の長さがだいたい20cmなのでよく使ってます)とか,人々の活動範囲が限られた範囲であった時代ならそれで何とかうまく行っていた訳なんですが,大航海時代の到来により世界中の様々な文化圏間で商取引が行われることがごく普通の時代となり,世界中で使える単位の必要性が徐々に高まっていきました。

そのため,1790年にフランスのタレーランが「世界中で使える単位の創設」を唱え,「メートル」という長さの単位と,それを基準とした重さや体積の単位などを作り上げました。

この時決められた定義は
「子午線上における地球の四分円周
(=北極から赤道まで)の1000万分の1」

です。

この定義から「地球の円周は4万 km」となりました。もちろん地球は完全な球というわけではないですし,この後説明する通り現在ではメートルの定義も変わっていますので,厳密に地球の円周は4万 kmであるとは言えないのですが,大ざっぱには変わっていないので「地球の円周は4万km」と覚えていて良いと思います。というか,このことはこの時代に行われた最初の測定が,非常に精確だったことでもありますので,大したものだと素直に思います。

で,実際にどうやってその「1メートル」を決めたかというと,1792年から1798年にかけてフランスのダンケルクからパリを経由し,スペインのバルセロナまで到達する子午線の距離を実際に測定し,そこから換算して「1メートル」という長さを決め,1799年に現在「アルシーブ・メートル原器」と呼ばれるものを作成しました。

その後,地球科学の発展により意外と地球の大きさというものは基準になりにくい(永遠不変のものではなく,経時的に大きさが変化している)ことがわかり,地球の長さを基準とするのではなく新たな国際原器を作成して,それを基準とすることになりました。これがいわゆる「国際メートル原器」です。1889年の第一回国際度量衡総会により,国際メートル原器が長さの基準として認められ,世界各国に複製されたメートル原器が配布されました。日本にも1890年に「日本メートル原器」が配布され,国家基準として用いられることとなりました。

メートル原器が基準となる時代はこのあと70年ほど続きますが,誰でも当然考えるように「これが壊れたり変化したらどうなるの?」という疑問が発生しました。そして,その後の測定技術の発展により,やはり微妙に長さが変化している可能性が指摘されるようになりました。

同様の問題は他の単位でも発生し,「単位の基準は永遠不変な自然現象を基準とするべきである」という考え方が広がり,長さの定義も見直されることになりました。

そこで候補に挙がってきたのが,光の波長です。1800年に行われたヤングによる光の干渉実験から,光が波の性質を持つことはすでに知られていました。また,これにより作られた干渉波が精確な周期性を持つことから,きちんとそろった波長の光で作った干渉波の数を数えることが長さを測定することに繋がることが知られていました。

現在きちんとそろった波長の光の代表格と言えばレーザー光ですが,マイクロ波領域で発生するレーザー(メーザー)が発明されたのは1953年(Townsにより開発),光の波長領域で発振するレーザーがMaimanにより発明されたのが1960年ですから,この当時はまだ用いることは出来ません。

では何が用いられたかというと,原子の発光スペクトルです。

ある原子を高エネルギー状態にすると,ある特定の光を発生することが知られています。その時発生する光の波長は原子の種類に特徴的であり,一定です。そこで様々な原子の発光スペクトルが検討され,最終的に1960年の第11回国際度量衡総会において「クリプトン86(86Kr)原子の準位2p10と5d5との間での遷移に対応する真空中における波長の1650763.73倍に等しい長さ」という定義となりました。ややこしいですね(^^; 切れのいい数字を使う(少なくとも整数)方がわかりやすいんでしょうが,十分に広く普及している子午線を元にして作った元々の「1メートル」とあまりにも違ってくると,世界中が大混乱に陥ってしまいますので,そう言うわけにも行かなかったんですね。

ですがこれにより,パリにおいてあるメートル原器に頼ることなく世界中で正しい長さを測定することが出来るようになりました。

それまでは,自国で保管してあるメートル原器が正しい状態にあるのかどうかを定期的にパリのメートル原器と比較する必要があったのですが,クリプトン86の発光スペクトルを使った干渉計さえ作ってしまえば,自国内ですべての基準が完結するのです。とっても便利ですね。

ところが,この定義はわずか23年で変更になってしまいます。

この背景には,様々な科学計測の分野の急速な発展があります。

というところで,だいぶ長くなってしまいましたので次に続きます。


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雑学 | 18:53:32 | Trackback(1) | Comments(0)
偏頭痛に効くお薬
あります。

もっとも私の場合は偏頭痛ではなくて,群発頭痛なんですが,起きる仕組みは一緒なので効く薬も一緒。ただし飲み薬もあるけど,効きにくいです。

ちなみに私が使っているのはイミグランの点鼻薬。これで効かない人向けには,自分で出来る注射薬もあります。

学生時代から,冬になると毎朝1時間以上七転八倒していたんですが,これを使うと10~20分で楽になります。

あと,予防薬もあります。私の場合「ワソラン」という本来は狭心症の薬として使われているカルシウム拮抗剤が良く効きました。去年完全に発作期に入ってから受診したのですが,病院からこれをもらった途端に発作が止まりました。

まぁ,なんでこんな事書いたかというと,最近「『偏頭痛は頭痛薬では治らない』から,顎のズレを直しましょう。」というDMが良く来るようになったからなんですね。

確かにバファリンやセデスなどの鎮痛剤は効きません。でも,効くお薬はあります。しかも,てきめんに。

これ読んでいる人でどのくらい必要としている人がいるか良くわかりませんが,偏頭痛があり,市販の頭痛薬が効きにくいという自覚のある方。ぜひ専門医の診断をお勧めします。

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雑談 | 11:21:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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